再び休みに入り、生活が困難になったため、実家へ避難。父親が脳梗塞で倒れたこともあり、前々から帰ってきてほしい、とは言われていたのですが、二つ懸念があり、躊躇していました。父の容態を気にして病気が悪化しないだろうか。18歳の猫の最期を見ることで病気が悪化しないだろうか。しかし、経済的にも一人暮らしが物理的にできなくなったため、やむなく引越し。
年が明けて、平成22年。この頃から、何を血迷ったか、薬学部への編入を目指していました。とにかく何かしていないと落ち着かなかったのと、勉強は好きだったんです。毎日図書館に通い、5〜6時間勉強して帰るのがリハビリにもなっていました。文系でしたが、腐っても国立大学卒ですし、数学は何とかなりました。しかし化学が。高校1年生の時に、同学年約600人の中で唯一の赤点、つまり最低点を取った男です。ちなみに担任は化学の先生でした。さすがに好奇心も抑うつ感とトラウマのタッグには敵いませんでした。
一応、某大学を受験。面接の評価は良かったのですが、化学で落ちました。さっぱりわからず、ほとんど手を付けられずに終了。2月末に発表がありましたが、もちろん落ちました。そもそも受かったとして、5年分の学費約1000万円をどうやって返すつもりだったのか。やはりうつの時に大きな決断をするのは避けるべきなんでしょうね。
職場への復帰を半ば諦め、新しい道を模索したのに夢破れたのですから(今思えば落ちて助かったのですが)、かなり凹みました。そこに追い打ちが。父が目の前で倒れました。1分ほど気を失っていましたが、幸い意識が戻ったので、母の帰りを待ちました。母が帰ってきたところで、救急車で搬送。結果、十二指腸潰瘍だったのですが、倒れた時はもうパニックです。試験に落ちたことで将来が見えなくなったこと、父親が死ぬのではないかと思ったことで、完全におかしくなりました。連日過量服薬(OD)。今度はあおくまが救急車で搬送されることに。幸い救急車の中で意識が戻ったため、胃洗浄もすることもなく、帰宅。さらに数日後、リストカット。数年経った今でも跡が残っています。横に10数本。縦に4本。全く痛くありませんでした。血を見てゾクゾクしていました。死んでもいい、そう思ってました。母親に発見され、父もまだ入院中でしたし、「もう面倒見きれない」と言われ、強制入院。
どこの精神病院でもそうなのかわかりませんが、ほとんどがお年寄りでした。アルツハイマーか、統合失調症か。そのような感じでした。うつ病らしき人も同年代の人も見当たらず、非常に心細かったです。しかも、散々述べてきましたが、とにかくやることがない。テレビは食堂にあるだけで、NHKに固定。本も読めない。携帯は没収。散歩も許可が下りないとできない。監禁状態です。精神科医が来るのは週1回で、あおくまの場合、申し出ればいつでも退院できるとのことだったので、退院を懇願。3日で入院生活は終わりました。それ以降、過量服薬もリストカットもしなくなりました。アホらしくなりました。今振り返ってもアホやったなぁ思います。でも、その時はもう終わりだと思ってたんですよね。
その後は、復職するか、臨床心理士の資格を取るために大学院に進学するかで迷っていました。どちらにしても、児童福祉に特化したいとは思っていました。異動すると変なところに飛ばされますので。公務員へのこだわりはなかったです。やりたいことができればいいと思ってました。大学院に通うにもお金の工面ができず、取り敢えず10月から保育士の通信講座を始めました。
どんどん調子は良くなっていったのですが、10月末に事件が。猫のみーちゃんが倒れました。19歳になっていました。急に動けなくなり、水を飲むのもやっと。次第に水も飲まなくなり。いよいよか、という11月1日、その年初めて、夕日の中に富士山が見えました。日向ぼっこが大好きだったので、そこに抱いて連れて行くと、ぐにゃりとしていた体を、日向ぼっこの体制にしたんです。何となく嫌な予感がしました。その夜、みーちゃんは19歳7ヶ月で亡くなりました。最後に見た富士山、目に焼き付いています。
みーちゃんが亡くなって、家族3人に異変。いわゆるペットロス症候群に。鈴の音が聞こえるとか、鳴き声が聞こえるとか。あおくまの場合は、目の前に姿が見える幻覚まで。たまらず、主治医とも相談し、両親に新しく猫を飼う提案をしました。最終的にはペットショップで2匹を購入。それが今パソコンのキーボードを踏んであおくまに怒られているにゃんこたちです。
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